記事一覧

観察者はいない/スティーブン・ノーキスト

宇宙を見守っている〈究極の人〉も〈究極の神〉も
〈究極のマインド〉も何も存在していないのだ。
存在している宇宙という経験だけがあって、経験する主体はいない。

これは矛盾しているように聞こえるかもしれないが、
そんなことは知ったことではない。それが事実なのだ。
経験は「ある」。それだけだ。
それが宇宙のあり方だ。誰にも経験されていない経験。
宇宙は意識から自然に生じる。
だが、それと同時に宇宙そのものが意識なのだ。

意識と呼ばれる何かが物質を観察している
という観念を捨てなくてはならない。それは事実ではないのだ。
観照者、つまり一瞬一瞬すべてを見守っている、
究極の不動の精神について話す先生たちもいる。
それは、こちら側の観照者があちら側の宇宙を見守っているという
ある種の分離を意味している。

だが、事実はそうではない。宇宙という経験があるだけなのだ。
見守っている主体は存在していない。
現れが何もないとしても、感覚は変わらない。

*********

それが起こったときに失われたものは何もない。
なぜなら、何かを失えるような
「自分」が存在していたことはないからだ。
あったのは、正されるべき混乱状態だけだ。
が、そのような混乱状態も存在したことはなかった。

私が世界に一つ教えることがあるとしたら、こうなる。
何を経験したとしても、かならずこれを思い出すこと。
「経験している者はいない。
見守っている者はいない」
これを長いあいだ、そして何度も繰り返し思い出していると、
いつの日か、何が起こっているかが分かるだろう。

真実を「感じる」とき、真の突破が起こる。
それは気味の悪い感覚だ。
喜びに満ちてもいないし、法悦状態でもない。怖くなるはずだ。
幸せになるため、人生に意味付けをするため、
至福や恍惚感を感じるために悟りを追い求めるわけではない。
愛が悟りであるわけでも、憎しみも悟りであるわけでもない。

こうしたものが悟りの成果だと考えているとしたら、それは思い違いだ。
そうではなく、こうしたもの、ひとつひとつが悟りそのものなのだ。
それらはすべて意識からの現れであり、そして意識としての自然な現れだ。

なぜ変化が起こるかと言えば、何が起こっているかが分かると、
人生を突き動かしている主な動機が脱落しはじめるからだ。
どれくらい脱落するかは、おそらく人によって異なるが、
自分がどれだけリアリティに消えたいか、ということに直接比例している。

行為はしだいに少なくなっていき、思考もしだいに少なくなっていく。
これは悟った人における自然な展開だ。
やがてすべての行為は自然に生じるようになり、
人が行為することはなくなる。

意識は、いま現れている出来事に集中するようになる。
これは自然なことだ。
それは、現在の出来事だけが、実際に存在しているからだ。


■http://www.hauntedpress.net/
http://resonanz360.com/2013/07/ より抜粋
原文: WHAT IS ENLIGHTENMENT, NO, I MEAN REALLY, LIKE WHAT IS IT?
スティーブン・ノーキスト


関連記事

フリーエリア

検索フォーム

フリーエリア

プロフィール

Nada

Author:Nada
オカルト・陰謀論・不思議などに興味があります。主にD.アイク氏、無明庵EO氏などに影響を受けてます。
個人ブログhttp://blog.livedoor.jp/siest/

フリーエリア2