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死後の道しるべ

『チベット死者の書』における死後三日半の覚醒のチャンスを、
我々凡夫は失神状態か茫然自失あるいはぼんやりとしてしまい、
おおかた見送り三振をする結果となる。
それも当然で、恐らくこの状態で実際にチャンスを掴めるのは、
サマーディの能力が不可欠であり、熟睡位の時さえ意識を保てるぐらいの
超絶ヨーギンの能力を必要とすると考えられる。

この為には夢の中でも完全に意識を保持するのが条件となる。
そしてその上で、さらに熟睡位で意識を完全に保つことを
可能にならなければならない。ここから夢で完全に意識を保持するのは、
幽界のマスターになるということに繋がってくるのであり、
熟睡位で完全に意識を保つのは、
観念界のマスターになるということに繋がってくるわけである。

かくて人は、死後三日半後から十四日間に渡り
自己の意識の投影である寂静尊と忿怒尊の神群の現出に遭遇することになる。
光と色彩は、自己の存在本来の姿の純粋な現出なのだが、
その本性が、人をして幻惑させおののかせるのである。
そしてその光と色彩の中からは轟音が大きな雷音となって響き渡り、
人を驚愕させるのである。それが死者を動転させるのである。
自分の本性である光と色彩と音に驚愕戦慄して、
自己に恐れ入って輪廻に落ちるのが我々である。

例のものがやってきたのだ。死は誰にでも起こることである。
どんなに畏怖させ恐怖におののかすような現出があっても、
現れてくるものがなんであっても、
自分自身の意識の投影したものであると覚るべきである。
これがバルドゥの現出であると見破らなくてはならない。
今は目的を達成しなければならない大変に重要な時機である。
この時に自分自身の投影である寂静尊(シ)と
忿怒尊(ト)の神群を恐れることはやめよう》(P32-33)

すると死者は、明るい方へ向かうのではなく、それに恐怖を抱き
恐れが生じて逃げ出し、微弱な白色の薄明りに喜びを感じて近づこうとする。
そこで司令塔は指示を出す。
しかしこの時に汝は、心を乱すばかりに明るくて、
眩惑させるばかりに大いに輝く最高の叡知であるこの紺青の光明に
おののいてはならない。おびえてはならない。
これは如来の光明であり、仏の世界の叡知である。(P38)

微弱な白色の薄明りの方に喜びを抱いてはならない。
これに執着するときには、もろもろの天上界の存在の境涯に辿りついて、
その後は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六道に輪廻することになるだろう。
この薄明りは解脱の道を妨げる邪魔ものであるので、
これに眼を向けて見てはならない。
紺青の眩惑させるばかりの色彩の光明の方に敬慕の気持ちを寄せるべきである。(P39)

汝が見ている幻影がたとえどのように恐ろしくおびえさせる現われであっても
汝自身のすがたの現われであると覚らなければならない。
これは光明であり汝の意識のみずからの輝きであると覚るべきである。(P93)
上記の観想はこの今の我々の現実にもあてはまる。
我々は自己の意識の波動の高低の限界内でしか世界を見ない。
この世界もまた我々の意識の投影である。


■『パーシュパタスートラム(獣主派経典)』を読む 第2章 第14節
チベット死者の書 より抜粋編集

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Author:Nada
オカルト・陰謀論・不思議などに興味があります。主にD.アイク氏、無明庵EO氏などに影響を受けてます。
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