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六師外道-6人の異端者について

「六師外道」(ろくしげどう)とは、
ゴータマ・シッダッタとおよそ同時代のマガダ地方あたりで
活躍した6人の思想家たちを、仏教の側から見て
異端だと見なし、まとめて指すための呼称です。

●アジタ・ケーサカンバリン - チャールヴァーカの祖。
唯物論者で、人間は地・水・火・風の4元素から成ると考えた。

●パクダ・カッチャーヤナ - 七要素説(地・水・火・風・苦・楽および命)

●プーラナ・カッサパ - 道徳否定論者。
悪業というものもなければ、悪業の果報もない。
善業というものもなければ、善業の果報もないという考え。

●マッカリ・ゴーサーラ - 裸形托鉢教団アージーヴィカ教(邪命外道)の祖。

●サンジャヤ・ベーラッティプッタ - 懐疑論者

●マハーヴィーラ(本名ヴァルダマーナ) - ジャイナ教の開祖。相対論者。


現在地球上で主流となってる宗教や教えの多くは
支配者による手が加えられて教義が捻じ曲げられてたりします。
本当に重要な真実(知られてはマズいこと)については
経典からも抹消されてしまっており、
聖書とか、仏教典とか、煙に巻くような言い回しで、
どうにでも解釈できるような表現になっているのは
それらが真実を伝えるためのものではなく
煙にまくためのものだからです。

真実を語る者は異端者扱いされ
排除される体制は今も尚変わっていません。
ですので異端者扱いされてきたマイナー派の言葉の中にこそ
真実が隠されてる可能性が高いのです。

ですので今回は、異端扱いされている六師外道たちの
思想や教えについてまとめてみました。


<アジタ・ケーサカンバリン>

世界を地、水、火、風の4要素の離合集散によって
説明する四元素還元説を唱えた。
これは、霊魂の存在を完全に否定するものであり、
アートマン(真我)をも否定するもので、
業(カルマ)の報いについても、善悪の行為の報いを完全に否定した。
また、輪廻の思想を否定し、死後の生まれ変わりも来世も認めず、
人は死ねば4要素に帰って消滅するとし、
道徳も宗教も不必要なものであるとして、無神論の立場に立った。
布施に功徳があるという考えもまた愚者のものだとみなしている。

アジタは、人生には目的が備わっているという従来の思考や
人間には生得的に守らなくてはならない規範があるとする
伝統的な共同体倫理を否定した。
そして、従来のバラモン的な宗教行為は無意味であり、
現世における生を最大限に利用して、それを楽しみ、
幸福をそこから得るべきだとした。


<パクダ・カッチャーヤナ>

万物は地・水・火・風の4元素から成るとする四元素還元説に
苦・楽・命を加えた七要素説を唱えた。
「苦」と「楽」は感覚、「命」は生命のはたらきであり、
絶対的で永続的なものであると説いた。

たとえ、鋭利な剣によって頭を断ち切ったとしても、
誰かが誰かの命を奪うということにはならない。
それは単に、7要素の間隙、諸要素間の裂け目に剣先が落ちるにすぎない。
パクダはひとつの行為に善悪の区別はないという見解を示した。
これはまた、人間には何の力もなく、精進による解脱を望んでも
無駄だという認識を含んでいる。


<マッカリ・ゴーサーラ>

ゴーサーラは、万物はその細部にいたるまで
宇宙を支配する原理であるニヤティ(宿命)によって定められているとして、
人間の意志にもとづくあらゆる行為を否定し、徹底的な宿命論を説いた。
その主張の本質は「人間の努力は無駄である」というものであった。

生きとし生けるものには、支配力もなく、意志の力もなく、
ただ運命と状況と本性とに支配され、
いずれかの状態において苦楽を享受する。
人が同じことをしても結果が異なることがあるのは、
運命によるものなのであり、行為そのものには運命を変える力がなく、
行為それ自体に善悪もなく、それに対する報いもまた存在しないのである。

意志にもとづく行為は成立しえないのであるから、
輪廻するもののあり方は宿命的に定まっており、
6種類の生涯(六道)をたどって清められ、やがて解脱にいたる。
「840万大劫」とよばれる計り知れない長大な年月のあいだ、
賢者も愚者も流転し輪廻して苦の終わりに達するのであり、
その期間、修行によって解脱に達することは不可能である。

ゴーサーラは、賢き者も愚かな者も
定められた期間の間は生々流転をつづけ、
最後は何の努力もなく、自然に解脱にいたると主張した。
「業」の思想を否定し、行為以外の何かが結果を決定しているとし、
それは神ではないとした。
宿命のみが人の幸福や不幸のありようを説明するのだと説いた。


<プーラナ・カッサパ>

霊魂の不生不滅を説いて、人間はどんな行為をしても
善にも悪にならないとして、因縁や業を否定し無道徳を説いた。
殺し盗み、追剥をなしても悪をおこなったことにはならず、
祭祀や慈善を行っても善をなしたことにはならない。
また善悪の行為の報いもないという見解(空見)を持っていた。
人には永遠の魂があり、たとえ人が死んでも魂がなくなることはない、
したがって、行為自体は魂に影響を与えず、
どのような行為をとってしまってとしても魂は永久に
存在し続けることを、道徳無用論のかたちで主張した。


<サンジャヤ・ベーラッティプッタ>

形而上学的な重要問題に対して曖昧な回答をし、
判断を中止する態度をとったといわれる。
たとえば、「来世があるのか」という問いに対し、
「あるとは考えない、来世があるとも、それとは異なるとも、
そうではないとも、また、そうではないのではないとも考えない」と、
とらえがたい議論をしたという。


<マハーヴィーラ>

宇宙は、霊魂、運動の条件、静止の条件、虚空、物質の
5つの実在体から構成される。
霊魂は、ジャイナ教においては6種とされており、
地(土)・水・火・風(空気)・植物・動物を「六生類」と総称し、
通常、生物とされる範囲よりはるかに広い範囲を
「生命」とみなす点を大きな特徴としている。

その一方で、宇宙を世界と非世界に区分する分類もあり、
その場合、非世界には虚空があるのみとした。
このようなマハーヴィーラの立場は無神論に属しており、
宇宙創造神や絶対の原理を否定する点でも仏教との間に共通点がある。
また、物質は原子からなり下降性があるのに対し、
霊魂には上昇性があるとしている。

霊魂(六生類)は、生じることもなく滅することもなく、
永劫に輪廻の生存を繰り返し、本来は定まった形のないものだと把握される。
輪廻は、汚れたものである業が霊魂に流れ込むことによって起こる。
業とは、身・口・意によってなした行為のことであり、
それによって微細な物質が霊魂に流れ込んで
輪廻の生存が繰り返されるのである。

前世からの古い業を苦行によって滅ぼし、
新しい業が流れ込まないようにすることができれば
輪廻は終わり、解脱へと至る。
業とくに悪業には物理的な重さがあり、悪業を多く含んだ霊魂は、
繋縛を受けて霊魂が本来もつ上昇性が妨げられ、
地獄・畜生・人間・神々の4つの世界の境をさまよう。
解脱した霊魂には繋縛がなく、上昇性は妨げられない。
この上昇性を解放すると、霊魂は世界の頂上にたどり着いて
平安の境地たる極楽世界に達することができる。


◇Wikipedia六師外道 より抜粋編集
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%B8%AB%E5%A4%96%E9%81%93


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