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神(創造主)→人間になった過程/ラムサの説

花の美しさ、木々の勇壮さをつくり上げたのは誰なのだろうか。
人間という、不可思議な謎と言える存在を創造したのは、
いったい誰なのだろうか。
それは、すべての生命の総体である神ではない。

在るものすべてを創造したのは、自分たちも神々であり、
すべてを愛する父なる存在の息子である、あなただったのだ。
思考する能力、感じる能力、それに
自由な意志という神なる本質を持ったあなたこそが、
まさにすべての生命の創造主だ。
皆は宇宙のみなし児などではない。
それどころか、宇宙を創造した側なのである!

すべての生命は、あなたの存在、あなたの想念、
そしてあなたの感情を待ってはじめて存在できる。
一輪の花の生命、そしてその美しさには、
それを感じてくれる人がいなければ、
いったい何の存在理由があるというのか?
あなたがいなければ、それは意味がないのである。

あなたがいなければ、四季はめぐらず、花も咲くことはなく、
太陽は昇らず、風も吹くことはなかったことだろう。
この世界はあなたがしっかりとした目的をもって
自分の思いどおりに創造したものだ。


◆神(創造主)のはじまり

あなたが神と呼ぶものは、思考のことであり、
それはすべての生命の起因、基盤となるものだ。
いま在るもの、これまで存在してきたもの、これから存在するもの、
それらはすべて思考、つまり神の精神である
知性から派生してきたものなのだ。

はじめにはまず思考という限りない空間があった。
そして、自分自身のことを思いめぐらさなければ、
神は形のない思考のままでいたことだろう。

神が思いをめぐらせると、ある独自の形に自分を拡大することになった。
というのは、ある想念が思いめぐらされると、
この純粋な理性的行為が思考を拡大するのである。
思いをめぐらす思考そのものの本質の部分、
その目的とは、愛なのである。神の自分自身に対する愛こそが、
自分自身に思索の対象を見いだし、
独自の形に拡大したいという望みを与えたのである。
神が自分を心に抱き、愛することで偉大なる存在となったとき、
あなたたちの一人ひとりが、拡大していった思考の一部となったのである。

神とは、生命という強制的で思索的である思考のことだ。
あなたの思考がじっとしてはいられないように、
それはけっして立ち止まらない継続する過程である。
思考、あるいは生命が永遠に向かって拡張を続けていくためには、
それを続ける理由がなくてはならない。その理由が、あなたなのだ。

はじめにまず、思考がそれ自体について思索し、
広がっていったときにどうなったか。
それは「光」と呼ばれるものになったのだ。
思考が行なわれ広がっていくとき、その波動は必ずある周波数、
「光を発する周波数」のレベルまで下げられるという理由からだ。
つまり、思索され、拡張された思考が降りていく最初の形態が
「光」なのである。
あなたの血筋は、この「光の誕生」のときまでさかのぼる。
想念から生まれた「光の分子」が、「ひとりの人間」となり、
「神」となり、「息子」となったからだ。
今日でも、あなたはこの原初の精神、原初の神なる自己を持っている。


◆「感情」と「記憶」のはじまり

さて、この初期の頃、感情が創造されたが、
それはまだつかみどころのないものだった。
そのため、それぞれの創造力を通して「個々の魂」がつくられた。
途切れることない思考の流れの中に思考をとらえ、
それを「感情という形で静止」させるという目的のためだった。
これが「記憶」と呼ばれるものだ。

「魂」は精神の内に宿っているが、
あなたを創造性あふれる存在にしてくれたのはこの魂だ。
なぜなら、何かを創造するためには、ある思考の明確なイメージを
「記憶の中にしっかりと維持しておく能力」が必要になるからだ。
そうすることによって、その思考に思いをめぐらし、
皆が現実と呼んでいる創造的な概念へと広げていくことができるのだ。

たとえば、これまでにないような新しい花を創造しようとすれば、
その花についての想念を出現させなければならない。
それは途切れることない思考の流れから取り出さねばならず、
この流れとは、あなたの存在の精神、
あるいは光とまったくひとつのものなのである。

この想念は、感情という形で、ひとつの像として
魂の中にはっきりととらえられる。これであなたは、
自分の欲求を通じて「花」という想念のイメージを思い出すことができ、
それに思いをめぐらせて、どんな形、色、あるいは高さにでも
自分の好きなように、それを広げていくことができるのである。
想念を完璧に静止した状態で記憶にとどめることによって、
その姿を完璧に描くことができるのである。

魂なしには、創造物にまで広げられない。
なぜなら、思いをめぐらせて、それを創造物へと広げるために
想念を静止した状態にする、ということができないからだ。


◆思考→光→電磁波→物質

物質を創造した者、その姿を定めた者とは、
最高の技能を持った職人である。存在の始まりのときから、
思考を通して思い描くことができた観念を
すべて物質に創造していくという、
明確な目的をもった知性があなた(神)にはあった。

すべての物質は光によって囲まれている。
皆の世界にいる科学者たちも、光の周波数を下げる、
あるいは減速してやると、どうも固体物質になるらしいと
気付き始めている。

では、この光はいったいどこからやってきたのか?
思考である。
ある想念を持ち、感情の中にこれを抱くとき、
その想念は光の波長を持つ波動へと拡大していく。

光の分子の動きを遅くして、それを凝縮すると、
プラスとマイナスの極がある電磁場、
つまり皆が電気と呼んでいるものになる。
想念を電磁場よりもさらに減速、凝縮させると物質になる。
そして物質は、形体と呼ばれる分子・細胞構造体となる。
そしてこの形体は、創造に必要な観念として
魂が思い描いていた想念によって、ひとつの形に保たれているのである。

すべてのものの創造過程は、まず速度がまったくないもの、
つまり思考をもとに、それを速度のあるもの、
つまり光へと拡大し、その光を減速して、これやあれや
皆のまわりにあるものすべてを創造する、という形をとる。
想念から光へ、光から電磁場へ、物質へ、そして形体へと、
考えることで、感じることで、すべてを創造し存在させてきた。

思考が光へと下りてきた存在だったあなたは、
自分がなった光に思いをめぐらせ、自分自身であるその光を愛したのだ。
そうすることによって、光をさらにもう一段階下げて電磁場をつくり出した。

神はあなたの思考過程を通じてこの電磁場になった。
その電磁場に思いをめぐらせたとき、
あなたはそれをさらにもう一段下げて、
物質体、あるいは「凝縮した思考」をつくった。
これは、思考の最も低い形である。

だから、皆が存在を始めてまず最初にしたことは、
「思考から物質をつくる科学」を認識することだったのだ。
だが、この科学は一度として実際に教えられたわけではない。
何もせずとも理解されたのだ。なぜなら、それは
皆が直接関わっていた生命のプロセスだったからである。
この科学、そしてその理解から創造による形が生まれてきたのである。


◆太陽の創作

形あるものの創造が始まった最初の頃、
神々は自分に思いをめぐらせ(光という自己の存在について)
太陽と呼ばれるものを創造することによって、光の観念を物質化した。

これらの太陽はすべて、電磁場の波動を下げた結果
できた気体物質を集約、融合させることで創造された。
生命の中心である火花、つまりこの太陽から、
惑星と呼ばれる回転する球体がつくられ、
それぞれの軌道に乗せられた。
そしてこの球体の上に、あなたたち神々が
さまざまな形あるものをつくり上げたのである。
それには、気の遠くなるような長い時間がかかった。

一つひとつのものを創造するにともない、
あなたは自分の体験を広げ、それが魂の内に感情を発生させた。
そして物質の次元の創造も、さまざまな感情を通して行なわれたのだ。

神が宇宙を創造したのではない。
神は宇宙そのものなのだ。
魂の内に宇宙を感じることにより、
自分の思考過程からそれを創造したのは、あなたである。


◆地球と生命の創作

光の存在である皆は、水中にあった気体物質の
反応を通じて生まれたバクテリアから、生命体を形成した。
これが、さまざまな生命の形を創造するのに使った粘土とも言えるものだ。

はじめの頃の創造物は、ただ「何かのかたまり」として
自己を表現する物質の集まりにすぎなかった。
物質という現実、そこから創造するという過程を
理解し始めたばかりだったので、きわめて単純なものでしかなかった。
しかし、長い長い時間をかけ、あなたは植物や動物、
そしてこの地上界に生きるすべての生き物を創造した。

生き物たちは、あなたの創造的な感情の表現として、
また創造的な生命の表現、つまり自分でも
自己を表現できる生命の形として、あなたがつくり上げたものだ。
花も皆の中のある一団によって創造された。
色が施された。香りも加えられた。
のちに花のその他さまざまな要素が、
それぞれ違った種類にもたらされていったのである。

何か創造したいと望んだとき、あなたは
物質に実体を与え、性格や知性、形を与えるために、
自分の創造したものの一部となった。
自分の創造したものに、知性、あるいは本能という
遺伝上の記憶パターンと呼べるものを吹き入れた。
そしてそれぞれの創造物が、生きた存在となったとき、
あなたは自分の創造物から離れていった。
つねにもっと偉大な創造を求めていったのである。


◆人間(乗り物)の創造

神々が自分の創造したものを直接体験し、
しかも創造性の表現を続けるための手段として、
物質界での存在をつくろうと決心したのは、
食物連鎖がしっかりと確立されてからのことだった。
それも、創造したものとしてではなく、
自分自身として体験する媒体を、である。
そのために、彼らは人間という化身をつくったのだ。

思考は浸透性の周波数を持っている。
つまり物質を通過してしまうということだ。
そのために、光という形の思考であった神々は、
花になることはできたが、その香りを嗅ぐことも、
その本質を知ることもけっしてできなかった。

彼らはちょうど、木々の間をそよぐのに、
木そのものを感じたり抱きしめたりすることができない
そよ風のようなものだった。石を通ってしまうことはできても、
それを感じることはできなかった。
思考は石という物質に影響されることがなかったからだ。
その低いレベルの波動を感じる能力を備えていなかったのである。

神々が花の香りを感じ、花を手に取り、身に飾るには、
またその美を知り、そのあざやかさを体験するためには、
物質界に存在して、花と同じ周波数で振動する媒体を
つくらねばならなかった。

このために、ほかのすべてが創造された後、
人間という化身が創造された。
神々が物質体、あるいは「固体」、
つまり思考が最も低次のレベルまで変換されたものを通じて、
自分の創造物を体験し、また自分の創造性を
表現していくという目的のためである。


人間は思考観念を用いて、神々が乗る車両として創造された。
それは個々の神々にとって、完璧な化身だった。
魂を宿らせることができて、しかも
神の精神で包むことのできる化身だったからだ。
これで神は、花に触れ、その香りを嗅ぐことができたのだ。
その体験は、神々の行ないの中でも至上の宝と言える
「感情」として、魂の内に永遠に記録される。

これで神々は、木を見てはこれに思いを馳せ、その香りを楽しみ、
その美に触れることが可能になった。
これで神々は、互いの姿を見て、触れ合い、抱き合い、
そして話すこともできるようになった。
互いに育み合い、観察し合い、完璧に自由でいられるようになった。
神々は、今度は人間としての遊びの対象となる、
まったく新しい冒険を手にしたのである。
それは、目には見えないながらも大切な本質、
感情というものを体験するためであった。

こうして、固体の密度を持たない光の存在である神々は、
自分の観念にあった密度をつくり出したのである。
この化身という固体を通して、神々はいまひとつのレベルで
自己を表現することが可能になったのだった。
こうして、彼らは神なる人間、人間なる神になった。
人間というすばらしい形態で自己を表現する神、
自分の内にあって、自分の父なるものの永遠への広がりを
続けていく神を表現する人間となったのである。


◆進化と経験(感情)の蓄積

長い時間をかけて、やっと自分が完全に乗り移るに値するものを
つくり上げた神々が、人生の探求という新しい冒険のために、
大よろこびで化身(人体)に入っていった。
神々が宿った化身は、光の存在たちが
いつも手を加えて改善してゆける力を持つようにつくられていた。
神が感情という形で抱いた想念はすべて、
一つひとつの細胞の中にパターンとして記憶され、
自己複製のプロセスを経てもそのまま伝えられるように、
この化身はつくられたのである。

神々が人間として生きることについての理解を深めるにつれて
原初の姿から身体をさらに完成させる働きは続き、
それが「進化」と呼ばれるものとなり、これが千五十万年以上続いた。

つまり、あなたはときの彼方からある古い存在なのだ。
何十億年という間、あなたは電磁場の中での創造を続けていた。
それから今度は、電磁場の波動を下げて物質にすることが、
これまでと違う新たな冒険となった。
こうして、何十億年という創造と探求を通じて、
人間は、凝縮した思考と集約された物質でできた、
生きて呼吸する生き物となったのである。


◆ラムサ著:「ラムサ ― 真・聖なる予言」 より抜粋編集
ラムサ 「創造と進化」/未来に向かって Go! Go!
http://sonokininatte55.blog.fc2.com/blog-entry-249.html


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Author:Nada
オカルト・陰謀論・不思議などに興味があります。主にD.アイク氏、無明庵EO氏などに影響を受けてます。
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